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聖ジタおとめ    St. Zita V.                           記念日 4月 27日



 聖女ジタはイタリアのモンテセグラディ村出身の貧しい両親の子と生まれた。父は早く世を去ったから、忘れ形見を育てる責任は、全くか弱い母の肩一つにかかった訳である。しかし信心深い彼女は、自分の言行を以て子供等に鑑を示し、彼等に敬虔を教え込む術をよく心得ていた。「祈り、且つ働け!」とは、ジタが幼いときから、母に殆ど口癖のように絶えず言われて来た言葉であった。それでジタはこの一句を深く心に銘記して、生涯忘れる時なく、聖徳を積む基礎としたのである。

 12歳になると彼女はルッカという町のさる高貴な家へ女中奉公に住み込んだ。あまりに謙遜で信心深い彼女の振る舞いは、始めかえって人々の軽蔑の種となり、随分邪険な取り扱いも受けたが、彼女は克己抑制、よく一切を耐え忍んだ。その内にその篤信、その従順、その忠実、その職務への熱心は、彼女に最後の勝利をもたらさずにはいなかった。人々はやがてジタを聖女の如く敬愛するようになったのである。
 ジタは忙しい中からミサ聖祭にあずかったり、祈りを献げたりするひまを作る為に、毎朝まだ暗い内から床を離れた。御聖体を拝領した時には、必ず主人一家の為にも祈ることを忘れなかった。彼女は彼等が奉公人である自分にとって聖い天主の代理者であると、硬く信じていたからである。
 夕方女中の務めを終えると、彼女は好んで聖書や信心書の類を読んだ。そしてどんなに暇な時でも決して自分の娯楽を求めなかった。彼女の最大の喜び、彼女の最大の慰めは、天主との霊交の外に無かったのである。
 仕事に取りかかる前に祈るのは言うまでもなく、働きの最中に於いても、ジタは絶えず天主の事を思うに努め、その為出来るだけしばしば短い射祷を唱えた。かくて彼女はその忠実さと勝れた責任感とで、その家の召使い一同の模範となり、いかなる命令にも不平や反抗がましいことは一切言わず、よくそれを果たし、塵ひとつも主人の家の物を私せず、また主人一族に対する悪口讒言などを決して聞き逃すことはなかった。

 ジタは憐れな女中の身分ながら、貧しき者悩める者にはいつも慈母のようであった。自分の得る乏しい報酬は殆ど残らずこれを貧民に施した。そして困窮の者を救う為には主人の許しを得て、自分の食べ物を節したことさえある。また主人の家の人々の着古した物などがあれば、衣服に事欠く人たちを喜ばせる為に、その破れたるを継ぎほころびたるを繕う労を少しも厭わなかった。
 この博大な貧民への愛には、天主も叡感あったのか、奇跡を以て報い給うた事も一再ならずあった。ある日の事である、病み衰えた一人の乞食がその家の門前に立て、一口の葡萄酒を求めた。しかしあいにく葡萄酒は少しもなかったので、ジタが仕方なく一杯の清水を与えると、相手はいかにも嬉しそうに舌鼓打って飲み始めた。見れば清水はいつのまにか、高価な葡萄酒に変わっていたのである。

 ジタはルッカ家にあること四十八年、終始変わらぬ誠を以て主人の家の為に尽くしたが、ようやく体力衰えて病みがちになるや主人は一切の仕事を免じ、ひたすら静養を免じた。しかしあくまで勤勉な彼女は「私が何もせずに死ぬのは耐えられません」と答えて、及ぶ限り仕事をやめなかったという。
 いよいよ永遠の安息に入る日が近づくと、彼女は感ずべき敬虔な態度で御聖体を受け、1272年4月26日、60歳を以てその生を終わった。彼女の墓に於いては無数の奇跡が起こり、為に教皇インノチェンチオ12世は、1696年ジタ列聖の盛儀を挙げられた。彼女は今も一般召使い奉公人達に保護の聖人として深く崇敬されている。

教訓

 「祈り、且つ働け!」とは聖女ジタ生涯のモットーであった。我等も祈りと働きをもって、忠実に我等の義務を果たそう。聖女ジタはかつて「天主を敬い、従順で仕事を愛し、之を忠実に果たすのは、奉公人としてこの上なく聖いことです」と言ったことがある。之は総て他人に仕える者の踏むべき道と言ってよい。この諭しをよく守るならば、必ずやあらゆる被造物の仕えるべき生死の支配者たる主から、報酬として永遠の幸福を与えられるであろう。